こんにちは、目玉焼きには醤油派のYukiです(^^)/笑
今日は僕が経営を一緒に学ばせていただいた方が仰られていた言葉についてお話します。
『普通は人の数だけある』
当たり前のように思う言葉なのですが、
お聞きした当時すごく感銘を受けたのを今でも覚えています。
“普通”
一般的にも良く使われる言葉ですが、それを意味する内容が人によって異なることを理解することで、不要な衝突を避けることができ、人間関係もより良好にすることができるのではないかと思っています。
良ければお付き合いください。
「普通、○○でしょ」
皆さん一度はお聞きしたことがあるのではないでしょうか?
『普通、○○でしょ』
という言葉。
言われた側からすれば「そんな普通、知りません」となることは容易に想像ができます。
常識を逸脱した行為に思うこともありますが、多くの場合には意見を押し付ける際に用いられているイメージです。
なぜ、この言葉は産まれるのでしょうか?
その答えの一つに育ってきた環境を含め、
それぞれの価値観が反映されているからだと感じます。
仕事にしても、
ストイックに業務をこなす方もいれば、
自分のペースで無理なく業務を行う方もおられます。
Aさん「普通、限界は超えていくものだ」
Bさん「普通、自分の力量に合わせて無理なく行うべきだ」
互いに相反するAさんとBさんの意見が衝突した場合、
そもそもの価値観が違うため、話は平行線。
交わることのないものとなってしまいます。
目玉焼き🍳にかけるのは、醤油ですか?ソースですか?
タイトルの問いかけですが
これを見ていただいている皆様はどうでしょうか?
冒頭にも記載したように、僕は醤油派です。
ちなみに僕の妻はソース派(最近は、とある出汁にハマり中)です。
回答はこの2つに限らずに、
塩派の方もいれば、マヨネーズ派の方もおられるかもしれません。
中には何もかけない方もおられるでしょう。
この目玉焼きに対する問いかけ。
何を伝えたいかと言いますと・・・
端的に言えば『そういう人もいる』ということです。
目玉焼きの美味しい食べ方は人によって異なり、
美味しく感じる食べ方を、人それぞれが知っています。
それは仕事や日常生活においても同様です。
“相手の普通”を認識する
先ほど意見が衝突したAさんとBさん。
期限が迫っていたり繫忙期であったり外部要因を除けば、
互いにそういう人もいると認識することで、意見の衝突自体は避けられるかもしれません。
自分にとっての普通は、相手にとっての普通ではありません。
それを認識するだけでも、
相手の意見や価値観を尊重しあった話し合いができ、不要な衝突は避けられるのではないかと僕は思います。
<Point>
- 目玉焼きには、醤油派の方もいればソース派の方もいる
- 『そういう人がいる(考えがある)』
- 自分にとっての普通は、相手にとっての普通ではない
今日もお読みいただきありがとうございました。
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